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父の思い出 [家庭]

父の思い出、とはいっても、父は生きているのですが、脳梗塞のため、意識もあまりはっきりしない状態で入院中です。
70歳まで、自動車整備工として、自動車修理工場で仕事をし、会社を辞めた年の8月31日の晩に倒れ、入院しました。左の脳が詰まったので、右半身のマヒと言語障害が、後遺症として残りました。まあ、元々口数が少なく、しゃべれなくなったとはいっても、あまり状況に変化がなかったというのは、うそのような本当の話。
リハビリなどもやって、一昨年、病院から家に戻り、母と二人暮らしとなっていたのですが、昨年10月31日の晩に、また具合が悪くなり、今度は、反対側も詰まってしまい、寝たきりとなってしまいました。

父は、職人気質というか、ソーシャルスキルに欠けるというか・・・・。人に頼むぐらいなら、我慢しちゃう、という性格です。    入院しても、一度も「ナースコール」を押したことがないんじゃないか?

僕が子どもの頃の父は、家に帰ると、1人で一升瓶から、日本酒を自分でコップに注ぎ、テレビを見ながら、夕食ができるまで飲んでいました。
で、料理がつまみ代わりに運ばれても、箸がないと、けっして、「箸がないぞ!」とは言わない。持ってくるまで待っている。(母は、そういうのに気がつかない人なので、いつまでもそのまま。)
という、おとなしいけど、厄介な性格の父は、年に1、2度、「星飛雄馬の父、星一徹」になる。つまり卓袱台をひっくり返す。いや、本当に穏やかな人なのですが、そのせいで、周りもついつい言い過ぎちゃうことも多いのですよ。で、爆発。

僕が、小学校1年の時に、父は、ずっと勤めていた自動車修理工場を辞めました。詳しい事情については、よくはわからないのですが、経営状態が悪くなった会社が、父に、住んでいる家(社宅?)を買い取って欲しいと持ちかけたらしい。冷静に考えると、けして悪い話じゃないと思うのだけど、父は気に入らなかったらしく、すねて、その会社を辞めてしまった。
母が、この話をする時(父自身がすることはない)、「本当に、損ばかりしてるんだから!」とは、言うのだけど、ちょっと「誇らしげ」なのですよ。

そんな父の血をひく僕は(近頃、外見はそっくりになってきました。病院などでも、看護師さんは、何も言わなくても「あっ、息子さんですね。」)、教師という職業をやっているにもかかわらず、人に自分の気持ちや考えを、うまく伝えるということが、苦手。

というわけで、部活の3年生が卒業していく時、後輩に
「先生は、わかりにくいけど、悪い人じゃないので・・・・」って、どういうことじゃい?


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NO NAME

こんばんは。北地先生は、いろいろな意味でとても貴重な方だと思います。そのような北地先生の育った環境を少し知ることができて嬉しかったです。お父さんの「損ばかりしている話し」を、ちょっと誇らしげに話すお母さんも素敵ですね。
by NO NAME (2006-01-09 20:55) 

きたちくん

18才から10年近く勤めた会社を突然辞めてしまい、2人の子どもがいる状況で、引越し、3ヶ月(1ヶ月?)、夫は、働かない。母は、とても不安だったとは思うのですが、家の中がギスギスした感じになった記憶はないんですよね。
by きたちくん (2006-01-09 23:02) 

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