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記事の重複 [吹奏楽]

このブログも10年以上続き、記事も4000を超えているし、思いつくままに、考えたことや思い出話を書いているので、内容が重複することもあると思う。
同じ内容を書くなら、リンクをつけたり、話を発展させたりしたいとは思っていたりはするのだけど、書いたことを忘れていることもあり、その検証も面倒なので、あまり気にせず、ダブってもいいや、という方針だったりもする。

それにしても、今回は、ちょっとショック。
同じ題材から、同じ思い出話を、同じように書いている。そして、それが2回目であるという自覚がまったくない。
吹奏楽コンクール課題曲一覧表
東京都吹奏楽コンクール都大会のプログラムに、「吹奏楽コンクール課題曲一覧表」というのが載っていた。(全日本吹奏楽連盟のホームページにも、より詳しいものが載っている。)

それを見ながら、つい思い出に浸ってみると、
昭和50年 高校2年生の時の「吹奏楽のための練習曲」
昭和56年 大学4年生の時の「イリュージョン」
平成2年 N6中時代、1度だけA編成(1部)に出場した時の「行進曲『マリーン・シティ』」
その後は、ずっとB編成で出場していたので、課題曲は、
平成19年 A3中の3年目の「マーチ『スカイブルー』」からということになる。

ちょっとショックなのは、高校1年生の時の課題曲は、表によると「吹奏楽のためのシンフォニア」ということなのだけど、記憶にないのですよね。
前年度の「吹奏楽のための『アラベスク』」は、先輩達が本校にしては珍しく入賞したということで、その名前は、記憶に残っているのだけど・・・。
そしてこの年のもう一つ課題曲「高度な技術への指標」は、他の団体が演奏しているのもよく聴いたし、その後も聴く機会は多くあったように思うのだけど・・・。


僕の入部したU高校吹奏楽部は、1学期の終業式の日に埼玉会館で定期演奏会をやっていて、
初心者で入部した僕は、定期演奏会までは大太鼓とかで参加していたのだけど、
その頃、吹奏楽コンクールは夏休みの終わりにおこなわれていて、
夏休み、ほぼ毎日練習があって、コンクールには、僕もフルートで出場したように思うのですよね。
クラリネットが3本しかいないのに、ワーグナーの「ニュルンベルクのマイスタージンガーより第一幕への前奏曲」をやったのは、しっかり覚えているのです。(このことに関連した話は、このブログにもいろいろ書いているように思います。)

う~ん、人数はいなくても、常に1部(A編成)に出ていたように思うのですが、課題曲のない部に出たのでしょうか?

吹奏楽のためのシンフォニア
吹奏楽コンクール東京都大会のプログラムに掲載されていた、「吹奏楽コンクール課題曲一覧表」によれば、僕が高校1年の時、吹奏楽を始めた年、昭和49年度の課題曲は、
小林徹作曲「吹奏楽のためのシンフォニア」と河辺広一作曲「高度な技銃への指標」となっている。

当時、コンクールは、8月下旬におこなわれていて、
1学期の終業式におこなわれていた定期演奏会では、パーカッションのお手伝いでステージにのっていた僕も、フルートでコンクールに出場しているはずなのだけど、なんか全然記憶がない。

自由曲は、「ニュルンベルクのマイスタージンガー第1幕への前奏曲」。
クラリネットが3本しかいなかったとか、
フルートの先輩の2年生はあまり練習に熱心ではなかったとか、
フルートのソリの部分で、吹けなくて、合奏から退場しての練習を言い渡されて、一人練習していたら、涙が出てきたとか、
これまでも、いろいろこのブログで思い出を語っているのだけど、課題曲についての記憶がない。

人数は、1,2年生で、30人もいなかったのだけど、A編成に出場していたのはたしかなこと。(当時は、A編成ではなく「1部」と言っていた。)

まあ、「高度の技術への指標」は、できなかったと思うし、絶対やっていないと思うので、「吹奏楽のためのシンフォニア」なのでしょうが、youtubeとかで聴いてみても、やった気がしないんですよね。
なぜなんだろう?

年寄りが、昔の思い出話を何回もして・・・・、という話をよく聞くけど、まさしく、それ。

まあ、ブログなので、実害はないと思うので、気にせず、いきますw

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