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贈る言葉 歌詞 [学校]

かつて、学級通信に、こんなことを書いています。ちょっと時期はずれではあるのですが、紹介します。

 「ところで、テレビで金八先生が再放送になっているね。放送されている時間には、家にいないし、昔の放送の時も、ほとんど見たことはないんだけど、先日、ちょっとだけ、見る機会があった。
ちょうど、金八先生が生徒たちに、受験の時の注意をしている場面。
「まず、掲示板を見なさい!」とか「トイレにいくんです。」とか、説明している。
それを聞きながら、僕が思ったのは、「どうして、金八先生は何でも言いきるのかな」ということ。
「~~しなさい。」とか、「~~です。」とか。

でも、本来、教師というものは、確信を持って、そう言いきるものなのかも知れない。
そういう意味で、僕は教師らしくないのかも。だって、「~~だと思う。」とか「~~ではないだろうか。」とか、ばかりだものね。
どうせ、言ったことを100%受け入れてくれるわけではないのだから、もっと、言いきったほうが、話もわかりやすいのだろうけど、どうも、言いきると「真実」から遠くなってしまう気がするんだよね。

「これから始まる 暮らしの中で だれかがあなたを 愛するでしょう
だけど 私ほど あなたのことを深く愛した ヤツはいない」

武田鉄矢の「贈る言葉」の3番なんだけど、長い間、この「だけど 私ほど あなたのことを深く愛した ヤツはいない」という歌詞が納得できなかった。だって、いろいろな出会いがあるわけだし、そんなことわからないじゃない。不遜(ふそん)な感じがしたのね。

でも、そうじゃないんだよね。それだけ強く愛している、ということが言いたいんだよね。その後の人生で、より深く愛する人物が現れるかどうかなんか関係ない。それだけ、強い気持ちなんだということをいいたいんだと思う。
というわけで、鉄矢流の表現もわかってはいるんだけど、自分自身のパターンはなかなか変えられないんだよね。

ところで、いろいろこだわって考えてみるのも楽しいと思わない?。この「私」「あなた」とは、誰(どういう人)を指すかなんて、どう?
ちなみに、今、僕が、考えている歌詞は「地上の星」と「ヘッドライト・テールライト」です。」
                                  (4年前の2年2組学級通信より)


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