鍛冶屋の歌 [吹奏楽]
「私たちが手拍子を打ちながらシンコペーションの音を歌うと、拍を打った手は音が出るまでの半拍間止まって待っていて、半拍後の音の出とともに開かれるのが普通です。・・・拍で踏み込む農耕民族のセンスだと言ってよいでしょう。音を出発させるべく拍で打った両手を開いたのに音が来ない、「音よ来い」、と手を開けて埋められるのを待っているのが西洋のシンコペーションです。拍ですでに出発しているので音を待つ顔は上を向いているし、気持ちも宙に浮いているはずです。」
指揮法のビデオとかでも、「裏拍ではなく、表拍をしっかり叩けば(示せば)いいんです。」と指導されていたりするのだけど、
なんで、点で停止して、するどく引き上げる?みたいな振り方じゃダメなんだろうと疑問に思っていた。まさしく、「拍を打った手は音が出るまでの半拍間止まって待っていて、半拍後の音の出とともに開かれる」という感覚なのですよね。
「手を開けて埋められるのを待っている」、なんか、曲のイメージ自体が変わってくるように思われます。
それにしても、むずかしいです。指揮の場合は、音自体ではなく、呼吸を示す、音が出る前が勝負、という観点も考えると、さらに頭の中はグチャグチャになりわからなくなります。それに自分の不器用さが加わり・・・・。
吹奏楽大好きになったのは
イーストマンのレコード(ふるっ)を買ってからですかねー
中でも、第二組曲が一番のお気に入りでした
実は、三楽章は最初の旋律が表で、後から入ってくる
ホルンの旋律が裏だとずっと思っていました
楽譜を見て驚いたのを今でも覚えています
by Aさん (2013-05-09 18:38)
コメントありがとうございます。ホルストの第二組曲は、吹奏楽を始めた高校の頃やって、4楽章のピッコロのソロが恐怖で、というか、出られなくて、(数えられなくて)、迷惑をかけた思い出がありますw
by きたちくん (2013-05-09 21:04)